【生贄】毎年一人死者が出る岩場での怪体験【もういらない】

   2017/04/28

のっぺりした岩に貼り付いたまま、次の手がかりを指先で探る。どれくらいの時間をこうして過ごしているのだろう。涸れた沢の、ひからびた15メートルほどの滝にとりつき、半ば以上を登った俺はその場にかじりつく以外、何も出来ない状況に居る。

太さ10ミリのザイル20メートルを輪にして袈裟がけにしているので、その重みが肩にかかり、右腕がひどく使いづらい。手足がしびれ始めている。前に落ちた時は、分厚く降り積もった木の葉があった。それでもひどく足首をひねり、その後の登りには大いに苦労した。登り始める前に踏みしめた、冷たく堅い一枚岩の上に木の葉が降り積もるほどの時間が経ったはずもない。今日落ちれば、足首をひねるくらいでは済まないだろう。

しびれた爪先から、ついに力が抜けた。支えられない。腕が伸びきり、指先に力はなく、馬鹿な話だが手がなければ歯で、などという言葉がよぎる。身体がうんと軽くなった。胃袋がせりあがり、右肩にずしりと来ていたザイルの重みが消えた。気が付くまでもなく、身体は宙にあった。

眼前を流れる岩肌に手を叩きつけた。瞬間、ザイルの重みが右肩にかかり、身体が右方向に傾くのを感じた。浮遊感は薄れ、真下に引かれ、加速を感じ、身体はますます軽い。手首を掴まれた。振り子のように振り回され、岩壁が遠ざかる。何が起こっているのか分からない。実際のところは、今もって分からない。

真下ではなく、斜め下に飛ばされた。全身に衝撃を感じ、鼻の奥がちりりと焦げたように香った。どうしたことか、落ちたのは土の上。
「もう、いらない」
声が、はっきり聞こえた。

その沢では、毎年のように死者が出る。場所は一定ではないが、毎年のように一人死ぬ。その年、俺の前に一人。

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